〒530-0013
大阪市北区茶屋町(ちゃやまち)
綱敷天神社の御旅社が鎮座するこの茶屋町は北は豊崎、東は鶴野町、南は角田町、西は芝田1丁目に囲まれた地域である。
この町の名の由来は、同町を南北に縦断する池田街道筋に三軒の茶屋があった事に由来する。三軒の茶屋とは「鶴の茶屋」、「萩の茶屋」、「車の茶屋」である。
「鶴の茶屋」の由来は鶴野町の段でも述べた通り、豪商であった松並竹塘が二羽の鶴を放し飼いにしたところからきており、その事を記した石碑が現在も茶屋町の一角に残っており、当時を物語っている。今では考えられないが、当時はのどかな田園風景が広がっていたようである。この「鶴の茶屋」について、昔を知る古老の話によれば、鶴の茶屋は黒塀に囲まれた趣のある建物で、二つの大きな門があり、船場の旦那衆が駕籠で乗りつけたそうである。
これら茶屋は、いわゆる現在で言うところの風俗店的な茶屋とは違い、当時の大阪の有力者の人々が、与謝蕪村が歌ったように「菜の花や 月は東に 日は西に」と菜の花や萩の花、月の風情を愉しむといった憩いの場として、前記の茶屋などの料亭が客を招いていたところであった。
この眺めた菜の花は、ただ単に見るだけの為に栽培されていた訳ではなく、採取された菜種から油を採り、燈明用にするもので、兎我野町の段でも述べたように、豊臣秀吉の時代から既にこのあたりの名物であったようである。当神社の資料によれば昔はこれら菜種に因んだ神事として「菜種御供(なたねのごくう)」と呼ばれる神事も行われていたようである。
しかし、明治期に油をもっと効率的に採取できるセイヨウアブラナが入ってきた為、それまで茶屋町で栽培されていた在来種の菜の花は駆逐され、また石炭石油、電灯の発達によって益々需要が減り、僅かながら食用油としての需要があったが、近年の研究で在来種の菜種油からはエルシン酸や、甲状腺障害を引き起こす含硫化合物が含まれていた事が分かり、食用に適さなかった事も追い討ちをかけ、栽培上絶滅したかのように思えた。
この与謝蕪村や旦那衆が愛でた当時の在来種の菜の花は、もはや見る事は叶わぬものと思われていたが、最近になって、江戸時代に鳥取県の浦富海岸にある菜種島に難破した北前船に載っていた菜種が、自然に根付き、今でも咲いているという事が分かり、事実であれば、当時の茶屋町に咲いていた菜の花と同じ菜の花は日本国中探しても今はこの菜種島のみであろう。ただ、菜種島は国立公園内であり、動植物の持ち出しが固く禁じられている場所であり、確認する事は難しい。
明治に入って、西天満6丁目に鎮座していた当綱敷天神社御旅所が、茶屋町の有志よりの土地の寄進を受け、西天満6丁目より遷座し、現在の御旅社となった。(現在も通称は御旅所)
この茶屋町には明治22年に「凌雲閣」という当時としては画期的な9階建ての楼閣があった。当時は高い建物がまだ珍しかったようで、『大阪繁昌誌』には「北部に聳ゆる9層の楼閣なり、一名を有楽園といふ。堂島の人、檀重三氏が、明治21年3月上棟式W行い、粗、落成するに及びて現今の所有者、鷲尾宇兵衛氏に譲る、9階の第1階は百坪にして高さ23間なり。苑内広く、四時の花木を栽て、人目を楽しましむ、観覧人1ヶ月平均500人に上るといふ」とあり、当時としては大変大規模な遊楽場であった。
また小松原町の段でも述べた小林佐兵衛はその凌雲閣のすぐ近くに小林遊園地を設けた。これは庭のたたずまいのよい、風景の絶景な遊園地であり、このなかに見上げるばかりの佐兵衛の銅像があった。いまその銅像は高野山上奥の院参詣道に移転されている。(兵庫県にある宝塚聖天には木像が残る)
以前はこの遊園地で春秋の2季、運動会を催す小学校が多くあったという。このように小林佐兵衛は明治時代の北区の発展に大きく貢献したが、大正元年88歳で歿した。そんな佐兵衛の事歴を基に書かれたのが、司馬遼太郎の小説「俄」で、佐兵衛はこのモデルである。ちなみにこの遊園地の跡地が梅田東小学校となったと思われる(現在は閉校)。
明治の後半に入って、茶屋町は住宅化が進み、大正、昭和にかけてはメリヤス(縦にも横にも伸縮性のある布)の工場が多く建った。
昭和44年に大阪市と千里ニュータウン、箕面市を結ぶ新御堂筋が茶屋町の東側に開通した事に伴い、それまでの住宅街から繁華街へと変貌し始め、再開発の気運が高まり、昭和60年にはまちづくりを推進する為の団体が発足。平成元年に梅田ロフト、毎日放送社屋が竣工した事により一気に繁華街化へ拍車がかかり、平成二年に「北梅田地区まちづくり協議会」が発足し、商業、住民一体となった”まちづくり”の先駆的役割を担う。
平成10年には茶屋町市街地再開発事業が都市計画として決定され、まず西地区にNU茶屋町が平成17年に開業。今後東地区の開発も始まるようである。また東急ホテル跡地に安藤忠雄氏設計による大型商業施設兼住宅施設が数年後には竣工の予定で、益々茶屋町が繁華街、梅田の顔として賑わいを産む街となっていくようである。
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