〒530-0025
大阪市北区扇町2丁目(おうぎまち2ちょうめ)
近年の町名改称によって新設された町域である。北は浪速町、山崎町、中崎1丁目、東は天神橋4丁目、南は扇町1丁目と神山町、西は万歳町に囲まれた地域である。
この町域は大阪天満宮の氏地と微妙に重なる地域であり、いわゆる「合氏地」とも呼ばれる地域である。(厳密に言えば近隣の山崎町や扇町1丁目のごく一部も当社の氏地にあたる可能性があるが、境域が曖昧な為不明)
この町には北区役所、関西テレビ、北野病院と大型の公共施設などが建っているが、これは最近になって出来たもので、それまでは何も無い地域であった。
この町の関西テレビは、元々、同じ氏地の西天満6丁目(旧梅ヶ枝町)にあったのを1997年に現在の地に移転した。この社屋内にはキッズプラザという施設があり、大阪市内はおろか近畿の小中学校の社会見学の場所として、また休日の親子のふれあいの場として利用されている。
この町の話ではないが、すぐ隣接する扇町公園は近年整備事業が進み、大変綺麗な公園として生まれ変わった。それまでは鬱蒼とした雰囲気のある公園であったが、いまはすっきりとした公園となり、公園の東側から西側を見ると、梅田の景観が一望に見て取れ、隠れた夜景スポットでもある。
この公園には昔、扇町プールという大型の市民プールがあり、昭和25年に着工竣工し、同年8月にあった日米豪国際選手権水上競技大会の会場として、観客収容能力2万2千人を誇る全国屈指のプールであった。
また、このプールはその観客収容能力を活かして、プロレス会場としても使われ、かの力道山と鉄人ルーテーズの第1回ワールド大リーグ戦の決勝が行われた所としても有名なところであった。
また、この公園の南端、阪神高速道路扇町ランプのすぐ横に小さなお宮がある。「八重垣大明神」と呼ばれているが、現在は柵で囲まれており、参拝する事は出来ない。
このお宮の由緒は、徳川2代将軍秀忠の時代、この堀川端(扇町界隈の旧称)の荒野に、仕置き場(刑場)が設けられており、伝説によれば、当時、堀川の渡し守の息子、与八と、浪速屋の娘お糸は恋仲であったが、もう1人お糸に恋心を抱いていた、十三郎という男が、ある時、この2人の仲を恨んで斬りつけ、与八は即死、お糸も重傷を負いました。
十三郎は捕らえられて死刑に処せられますが、お糸は恋人を亡くした悲しさからか、傷が癒えたにも関わらず、与八のあとを追って自害します。
お糸は、余りにも不憫な己の身の上をふりかえり、「このままでは死にきれない、悪霊となっていつの世までも堀川林の恋を呪って…」と言い残して死んだといいます。
その呪いのためか、それから70年後、八重垣姫と吉五郎の悲劇もここで繰り返されたといいます。この時の八重垣姫の霊を祀ったのが、八重垣大明神です。かつては扇町公園内にあったそうですが、阪神高速道路の建設に伴い現地に遷されましたが。
先述の八重垣大明神の話でも少し述べましたが、元々このあたりは荒野であり、踏み入る者も少なかった事から刑場があったようで、周辺の人々からは忌避されていた土地であったそうです。その為か明治十五年(1882)に、堀川監獄分署(後の堀川監獄)が設立され、政治犯や重犯罪人が投獄される場所となり、「泣く子も黙る」といわれるほど恐れられました。しかし、梅田の開発が進むにつれ、都心部に刑務所があるのは相応しくないという事で、大正九年(1920)に堺市へと移設されました。これが現在の大阪刑務所となっています。この堀川監獄時代には、一度脱走があったそうで、その時、周辺の民家という民家は全ての戸を閉めて家に閉じこもったので、さながらゴーストタウンのようになったそうです。
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