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芝田2丁目
(旧小深町)

 〒530-0012
 大阪市北区芝田2丁目(しばた2ちょうめ)

 明治30年4月1日、西成郡北野村字小フケのこの地は大阪市北区に編入され、ついで同33年4月2日には北野小深町と改正された。その後、大正13年6月1日施行の通町名改称で北野の文字が省かれ小深町と改められ、現在は芝田2丁目となっている。小深町の名の由来はおそらく大深町と同じであろう。

 北は中津、東は芝田1丁目、南は梅田3丁目、西は大深町に囲まれた地域である。

 この地には大阪梅田の主要オフィスビルが立ち並び、全日空ビルやJR西日本本社ビル、光栄ビル、新梅田ビル、梅田清和ビル、八木ビルなどのオフィスビルが立ち並ぶ、また城外馬券場のウィンズ梅田もこの町にあり、土日ともなるとすごい人出となる。

 この町にはさらに、西善寺や専門学校、済生会中津病院などの文化福祉施設もあり幅広い業種の集まる地域である。

 済生会病院は明治44年2月の紀元節に際し、明治天皇が桂首相に対し、施薬救療の資金として150万円を下賜されたことに端を発している。同年5月、この下賜金に篤志家からの募金を加えて、財団法人済生会が設けられ、大阪府は市内3ヶ所に診療所を開設した。これが現在地に移されたのは昭和10年で、府立北野中学校の跡地が利用された。この建築に際して、当時の東区本町のメリヤス商、嘉門長蔵は100万円を寄付している。

 北野中学は明治35年、堂島から現在の芝田2丁目に移り、堂島中学校から北野中学校と改称された。昭和6年に至り同中学校は芝田2丁目から東淀川区十三の現在地に新築移転した。その為、現在の北野中学校のある地域は新北野という。この中学校は手塚治虫などの著名人を多く輩出した学校である。

 また宝暦9年の『摂州大坂画図』にこの地の近くに朱色で記載されている鳥居つきの「稲荷」は現在の茶屋町に鎮座する当社の御旅所の玉姫稲荷神社がそれにあたるものと推測する声もあるが、近年の研究では、おそらく画図の稲荷は兎我野町あたりにあったと考えられる「狐山」の可能性が高いと考えられる。しかし、どちらも史料性に欠けるため、「稲荷」が玉姫稲荷神社であった可能性は否めない。



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【芝田2丁目の名所・旧跡】
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