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南扇町

 〒530-0052
 大阪市北区南扇町(みなみおうぎまち)

 大正3年6月1日施行の通町名改称で新設された町域である。北は扇町1丁目、東は末広町、南と西は野崎町に囲まれた地域である。

 元々は北野村の東端の地域で、現在の町名の由来は、東西に走る市道大阪駅前線(扇町通)と、南北に走る天神橋筋との交差点の位置にあった扇橋の南側に位置しているのが由来と思われる。この南扇町の町名になる以前は、このあたりは堀留と呼ばれた。
 この堀留の名の由来は、慶長3年(1598)に豊臣政権下での大坂城下の開発の一環で、運河や灌漑用水として、この町の東側に堀川(天満堀川とも)が開削された事に由縁する。この開削時に出た土砂をこの町のあたりに積んだ事から堀留と呼ばれ、山盛りとなった景を指して「ごもく山」とも呼ばれた。

 この堀留のあたりに昔は大きな榎(エノキ)の大木があり、その樹相に神威を感じた人々によって霊木として崇められていた。そこに吉兵衛という老狸が住んでいたという伝説がある。

 この狸は非常に陽気な事が大好きで、特に地車囃子(だんじりばやし)を好み、夏から秋にかけて夜な夜なチキチンコンコンとお囃子を奏でて町の人を驚かせていたが、土地の人はそんな狸の悪戯を妖しげながらも可愛く親しみを感じていた。

 天保9年(1838)に堀川が現在の北区樋之口町あたりまで延伸される事になり、梅ケ枝橋が架橋される。その際に、私祠として祀られていた榎木をきちんとした神社として祀るべく、翌年の天保十年に榎木神社(南扇町6のあたり)が建立され、榎木の御神霊とともに狸も神使として祀った。(明治時代になって、榎木神社は町の南にある堀川戎神社に合祀)

 明治15年に(1882)に、徳川幕府の管轄だった松屋町牢屋敷が南扇町のすぐ北側に移転し、堀川監獄分署(のちの堀川監獄署。大阪監獄署とも)として設置される。この頃周辺には桑畑しか無く、そこに巨大な監獄署が出来た事は驚きであったようで、南扇町には囚人を堀川から署内に連行する為や物資の移送の為のレールが敷かれていたという。当時は陸軍の兵営も兼ねていたようである。

 また同町内には文禄4年(1595)開基の浄土真宗の光明寺があり、この堀川監獄ゆかりの石碑も残っているという。また伝承によれば、曽根崎心中で有名なお初徳兵衛のお墓も同寺にあったと伝えられている。この光明寺を東端に西側にずっと寺院が並ぶ事から、この頃このあたりは西寺町と呼ばれていた。

 明治32年(1899)に、市街化が進んだ事により堀川に汚物汚水が流れこむようになり、衛生状態が悪化した事から改修工事を行う事になり、この際に、万歳町の町名の由来になった萬載橋なども外されたと思われる。

 明治35年、市街化が進む中、児童数も多くなってきた事から、現在の太融寺町にあった北野尋常小学校(後の梅田東小学校)から分離する形で、北野第二尋常小学校が、現在の南扇町7の北税務署付近に開校した。(後の昭和の大阪大空襲により焼失・曽根崎小学校に合併となった) 

 明治40年に、神社合祀令が施行された事により、小祠の多くが廃祀もしくは合祀され、榎木神社もこの時、堀川戎神社に合祀される。(現在も堀川戎神社境内に榎木神社(通称:地車稲荷)として祀られている)

 大正3年に通町名改称により、それまでの西寺町から現在の町名となり、さらに大正9年に梅田界隈の市街化がさらに進んだ事により、堀川監獄が堺へ移転する。跡地が現在の扇町公園や学校となる。この頃には南扇町には大きな製綿工場があった。

 昭和9年(1934)に大阪市水道局の本庁舎が町内に建てられ、また土木局、衛生局、清掃局も併設され、水の都大阪の水道事業はこの南扇町で管理運営されていた。当時としては最先端のコンクリート建築であった為、昭和20年3月13日〜14日にかけての第一次大阪大空襲の際も、南扇町の大半は焼け野原となったが水道局の庁舎は残った。
 
 昭和43年(1968)に、阪神高速12号守口線の開通に伴い、堀川が埋め立てられる。この時に堀川を貯木場としていた木材商の多くが、貯木場の消失と地価高騰などにより移転した。当時ドーナツ化減少と呼ばれるように、都心部は地価がどんどん高騰し、郊外へ転出する住民が多くなっていき、都会の過疎化が深刻な問題となりつつあった。そんな中、昭和58年(1983)に、マンションのユニ東梅田が町内に建てられた事により町内の人口は約300世帯にまで回復する。同マンションは梅田界隈における都市型マンションの中で、建築基準法の新耐震基準が適用された先駆的なマンションである事から現在も人気が高い。

 平成13年(2001)に水道局が大阪南港に移転した事に伴い、扇町インキューベンションプラザ/メビック扇町として新興企業向けオフィスや、若手クリエイターの活動の場となっていたが、老朽化により平成22年(2010)に閉館解体され、跡地は天満警察署の仮庁舎となっている。

 平成27年(2015)現在、南扇町にはアダ・マウロさんのCMで有名な西沢学園があり、関西テレビ電気専門学校、大阪建設専門学校、大阪コンピューター専門学校を併設し、テレビや通信、電気に関する学校として有名である。特に大阪建設専門学校にはビオトープ科、バイオエコロジ科という独特の学科が設けられており、今後活躍が求められる環境や生体管理のプロを育成されている。

 また南扇町の北端の扇町通に面したところには結婚式場のアイネスヴィラノッツェ大阪、そして平成27年9月には同じく結婚式場のル・センティフォーリア大阪が開業予定であり、この地はかつて吉兵衛狸が住んだという榎木のあった地に近く、結婚式の陽気を吉兵衛狸も喜んでいるのかもしれない。


 


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