〒530-0047
大阪市北区西天満6丁目(にしてんま6ちょうめ)
西天満6丁目というこの地名は近年改称されたもので、それまでは梅ヶ枝町として親しまれてきた町である。
梅ヶ枝とは菅原道眞公の愛好した梅にちなんだ町名で、この場所は江戸時代には川崎領、北野領の相接するところで、町名はつけられていない(文化10年の大坂地図による)
梅ヶ枝町という町名があらわれたのは明治33年4月2日で、この時は東梅ヶ枝町、西梅ヶ枝町にわかれていた。これが大正13年6月1日には両町があわされて梅ヶ枝町となった。
この梅ヶ枝町には明治5年、当神社御旅社が現在の太融寺町にあった梅塚の地から、この梅ヶ枝町に移ることになる。その当時の史料などは戦災の為残ってはいないが、記録では確かに当町に数年間、御旅社が鎮座していた。
おそらくは明治の廃仏毀釈の流れで、それまで常安寺という名で信仰されていた梅塚が、神社と寺院にきっちり分ける為、当町に移されたものではないかと思われる。
この廃仏毀釈によって分けられた元の御旅社(現在の太融寺町)の土地は上知令により民間に譲渡されてしまい、菅原道眞公の愛した紅梅樹も白江氏の営んだ梅塚天満宮も姿を消した。
当神社において菅原道眞公と最も由緒深い土地が国の指令によって半ば奪われたような形となった訳だが、この西天満6丁目の人々の暖かい信仰により、社地としての土地設け、御旅社として御神霊も一時の休息を得られたのではないかと思う。
ちなみに、その時の正確な鎮座地については明らかではないが、おそらく現在の阪急交通社ビル周辺ではないかと推測されている。同じ「旅」に関する神社と会社、何か縁を感じるものである。
由緒にもあるように、数年後、茶屋町の住民から、町の氏神さまとして天神さまをお迎えしたいと声があり、梅ヶ枝町から現在の茶屋町に御旅社は移った。しかし、梅ヶ枝の人々の暖かい心を天神さまは見守り続けられています。
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