当神社の御由緒にもあるように、御祭神菅原道真公は梅と関わり深い方で、「東風吹かば 匂ひ興せよ 梅の花 あるじ無しとて 春を忘るな」という和歌は大変に有名です。
当神社においては、京都から大宰府までの左遷の途中、当時喜多埜と呼ばれたこの梅田に立ち寄られ、当社近くの太融寺に参拝された折、今を盛りと咲いていた紅梅に目を留められ、あまりの見事な咲きぶりに、船の艫綱(船と陸とを結ぶ綱)をたぐりよせ円座状に敷き、しばし御賞翫された故事により、綱敷天神社の社名が起こりました。
その時にご覧になられた梅は明治の初め頃まで旧御旅社(現在の御本社から南に200mほどいったあたり。現在の太融寺町の北東あたりか)にあった梅塚がそれであったといわれますが、維新の嵐の中で神仏分離令や上知令の施行などにより社地没収の難に遭い、現在では残っていません。
しかし、仁徳天皇の御代からこの大阪は梅の都といわれ、梅田という地名も、元々泥沼を埋め立てて開墾した事から埋田であったとの、当神社の紅梅をヒントに梅田に改称したとも伝わっております。
現在、御本社境内には奉納された梅の木が多数あり2月初旬には境内中が梅の香りに包まれます。また御旅社でも元々の梅塚の由縁を偲び、近年、小さな境内ながらも植木を全て梅樹に植え替え、数年後には梅の香りが梅田の街中で楽しめるように整備中です。
江戸時代中頃の御本社と梅塚
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大阪市北区神山町12-5
綱敷天神社御本社内
06-6361-2887
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に描かれた梅塚
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