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あらまし A
@ 綱敷天神社の創建
   嵯峨天皇の御廟、神野太神宮
A 菅原道眞公と白太夫
    菅公の生い立ち
B 菅公左遷
   梅塚と白江氏
C 喜多埜天神の建立
  神野太神宮と梅塚天満宮の合祀
D 戦国時代の動乱
    南北朝から大阪夏の陣
E 江戸文化の隆盛
   寺子屋の普及と天神さま
F 明治維新と綱敷天神社
   上知令と御旅所梅田の変容
G 太平洋戦争
   本殿の炎上、御神体の避難
H 戦災からの復興
   焼野原から崇敬者と共に
I 現代の綱敷天神社
   大阪梅田、キタの大神さま

菅原道眞公と
白太夫

菅公の生い立ち

菅原道眞公の生い立ち
 
神野太神宮が創建された2年後の承和12年、天神さまこと菅原道眞公がお生まれになられました。 道眞公は幼少の頃より大変賢く、3歳の時には

「美しや紅の色なる梅の花 
 阿子が顔にもつけたくぞある」

と和歌を詠まれ、また11歳の時には漢詩を詠まれるなど、大変才気あふれるお方でした。しかし、それら才気は人並み以上に努力をされた結果であり、日々怠らず勉強された方でしたので、若くして大学者として認められるようになりました。


菅公の誕生と度会春彦

その道眞公の生まれられる前にこんな伝説があります。

菅原道眞公の父君の菅原是善卿は、いままでお生まれになった子供がみな幼くして亡くなり、今度生まれてくる子供は立派に生まれて育って欲しいと願い、伊勢の神宮祠官、度会春彦(わたらいはるひこ)に安産の祈願をお願いされしました。そして見事に授かったのが菅原道眞公であったので、是善卿の喜びは大変なもので度会春彦を道眞公の傅役(もりやく)として京都の自邸に招き、度会春彦は道眞公の養育係として御奉仕するようになります。




【あらましAの内容】

・菅公の生い立ち
・菅公誕生と度会治彦


【関係人物】
・菅原道眞公

・菅原是善(菅公の父君)
・度会春彦





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