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御本社 御本殿
嵯峨天皇(神野太神宮)
菅原道眞公(綱敷天神)
末社(御本社内)
喜多埜稲荷(宇賀御魂神)
(喜多埜稲荷神社
白龍大神
(白龍社)
猿田彦大神
(白龍社)
御旅社
菅原道眞公(梅塚天神)
御旅社御本殿)
玉姫大神(宇賀御魂神)
(玉姫稲荷神社)
歯神社
歯神大神(宇賀御魂神)
戦前の末社
戦前の末社の御祭神
当社ゆかりの人物
源融公
度会春彦(白太夫)
その他の人物

玉姫大神
(宇賀御魂神)

 この玉姫稲荷神社は茶屋町の綱敷天神社御旅社内にある末社で、名前からもわかるようにお稲荷さまです。

 現在、茶屋町に鎮座しております御旅社は元々は梅塚の地(現在の太融寺町)にあり、そこから明治初めに梅ケ枝町(現在の西天満)へ遷り、更に茶屋町に遷って来たお社ですので、元来は茶屋町にはございませんでした。

 しかし、この玉姫稲荷神社は御旅社が遷ってくる以前から元々この地にあった神社といわれ、いわば茶屋町の産土神さまでもあります。

 この玉姫稲荷さまは商売繁盛のお稲荷さんというだけではなく、玉姫の名前からも察せられるように女神さまであると云われ、特に女性をお護りくださる神さまとして、「女性守護、縁結び、芸道上達の神さま」として篤く慕われています。

 一説によれば、その昔、茶屋町にあったお茶屋で働いていた女性方から特に信仰されていたといわれ、その頃には「結び詣で」という独特のお参りの仕方もあったようです。

 この玉姫稲荷さまの例祭は、毎年5月5日で、お茶屋も無く、繁華街の為、住民も殆ど住んでおられない地域となった現今ではありますが、ささやかながら、今も例祭の神事だけは必ず執り行われています。

 かつて、この例祭日である5月5日には「梅田の牛の藪入り(牛駆けとも)」という、日々働いてくれている牛への感謝の念を込めて1日だけ放牧した行事が行われていました。

 『摂津落穂集』や『浪華百事談』などの古記録によれば、朝の7時〜9時頃に近在の農家から新しい鞍をつけ、角には茜や鬱金で染めた木綿を巻きつけ、肩に躑躅や菖蒲、牡丹などのお花を飾りたて、背中にはチマキを載せた牛が、数多く集められ、梅田堤(梅田道とも。現在の大深町の北側あたり)に放ち、子供たちがその背中のチマキを取り、食べることで疱瘡除け(天然痘)になるといわれ、梅田の名物行事であったようです。

 梅田に鉄道が通った頃から、そういった牛を放牧出来るような野原はなくなり、いつの間にか藪入りの行事も見られなくなりましたが、玉姫稲荷神社の例祭日だけが、いまもその名残を残しています。

 現在、玉姫稲荷神社の鎮座します梅田 茶屋町は繁華街となり、日々賑やかな街となっていますが、玉姫さまへと寄せられる女性方からの篤い信仰は今も昔も変わりはありません。




【お祀りされている御社殿】
・玉姫稲荷神社



【玉姫大神さまの御神徳】
・女性守護
・恋愛成就
・縁結び
・芸道上達
・童子愛育




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