茶屋町のご案内  

 この茶屋町は、元々は北野村と呼ばれた村を主体に、本庄村、南濱村という村が明治33年、次いで大正13年、そして昭和53年に次第に合併し成った地域で、江戸時代には大阪有数の行楽地として有名でした。(古地図などでは隣村の下三番村と村域が曖昧な為、混同される事もあります)
昔は当神社裏手(東側)の通り(旧西国街道、または旧池田街道)に軽く休息する為のお茶屋が三軒あり、そこから茶屋町と呼ばれるようになったようです。現在も「鶴乃茶屋」と刻んだ石碑が残っており、当時を物語ります。


 茶屋町は明治初年頃までは一面の田園風景で「菜の花や 月は東に 日は西に」と与謝蕪村が詠んだように、一面菜の花畑の風景が広がっていたようです。

 
現代ではビルに囲まれたこの茶屋町ですが、時には今と昔が融けあう、この街を探検してみてはいかがでしょう。

茶屋町界隈散歩

(茶屋町付近の写真をあつめてみました)

御旅社あたりからみた茶屋町の風景


 

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