【い】

衣冠(いかん)
・石神(いしがみ)
・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
・伊邪那美命(いざなみのみこと)
・伊頭の千別きに千別きて(いつのちわきにちわきて)
・出雲大社教(いずもたいしゃきょう)
・出雲国造(いずものくにのみやつこ)
・出雲信仰(いずもしんこう)
・出雲大社(いずもたいしゃ)
・出雲風土記(いずもふどき)
・市杵嶋比売命(いちきしまひめのみこと)
・一年神主(いちねんかんぬし)
・一宮(いちのみや)
・厳島信仰(いつくしましんこう)
・稲荷信仰(いなりしんこう)
・伊褒理(いぼり)
・忌詞(いみことば)
・斎竹(いみだけ)
・斎火(いみび)
・磐座(いわくら)
・磐境(いわさか)


衣冠(いかん)
昔は公卿の朝服(ちょうふく)であった。冠をかぶり衣は袍をつけ奴袴(ぬばかま)をはく。現在の神社本庁の定める服制では男子神職の正装。
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石神(いしがみ)
奇石・墓石・石棒・石剣の類を神体として祀る信仰。石神を「しやくじん」と音読し・それが転訛(てんか)して、社宮司・社公司・石居神・蛇口神・山護神・射軍神等と称し、複雑な石神信仰となつている。
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伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)

神代の昔、日本の国土、山川草木を始め、万物の主宰神の天照大神をはじめ、諸々の神を生み成された夫婦神。
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伊頭の千別きに千別きて
(いつのちわきにちわきて)

伊頭は厳の意、千別は道別。厳かに勢よく押し分けての意。
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出雲大社教(いずもたいしゃきょう)
出雲信仰を参照。
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出雲国造(いずものくにのみやつこ)
国造は音読して 「こくそう」 ともいい、地方の統治者に与えられた名称で、国を領し、人民を治め、祭祀を掌る大きな権威を有した。(大化改新により廃止)出雲の国造は天穂日命を祖とし、出雲大社の司祭者を世襲し、室町時代に千家・北島(せんけ きたじま)の両家に分れ、夫々独自の権威を保って来た。

※ 出雲国造の火次(ひつぎ)
出雲国造は島根県意宇郡の熊野大社からうけた聖火を継承して護り、聖火による厳重な潔斎と、大国主命の奉祀に終始する。国造が死去すると、新国造は喪に服することなく、直ちに熊野大社の聖火をうけて襲職する。
此の祭祀一途に終始する誠が、国造家が世々の混乱を越えて今日まで伝承して来た所以である。
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出雲信仰(いずもしんこう)
出雲大社には出雲大社教があり、全国各地で積極的な行教活動を行つている。
明治八年(1875年)に東京に神道事務局がつくられた時、祭神をめぐって神道界を二分する大論争があった。即ち、出雲大宮司教導職大教正第八十代出雲の国造の千家尊福(せんげたかとみ)は、幽世(かくりよ)を司どる大国主命を祀らずして人々の安心立命はないと主張したが容れられず、神道事務局を離れ、宮司を辞して敬神講を母体として出雲大社教を結成し、自ら初代管長となつて布教に挺身した。
 出雲大社教では、幽世を主宰する大国主命を信仰することによつて、生前も死後も心身の幸福が得られ、死は生への回生であると説く。
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出雲大社(いずもおおやしろ)
俗に「いずもたいしや」と呼ぶ。島根県大社町鎮座。
大国主命を主神として杷る。社殿は大社造といい我国の最も古い神社建築でその広大さは類がない。古来朝野の尊崇をあつめ、今日では縁結び神、農耕の神、福徳、出世、開運の神としてあつく信仰される。
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出雲風土記(いずもふどき)
一巻。風土記は元明天皇の和銅六年(713年)に諸国に命じて作られた書で、常陸・搭磨・肥前・豊後の風土記も残っているが、完全に残るは本書だけである。出雲国の沿革、神社、仏寺、山川の由来などを記す。なかでも次の国引(くにびき)の説話は有名である。

※国引神話
 「八雲立つ出雲国は狭布の椎国なるかも。初国小さく作らせり。枯れ作り縫はむと詔りたまいて、たくぶすま志羅紀の三崎を、国の余有りやと見れば国の余有りと詔りたまいて、…三自(みつより)の綱打かけて…毛曽呂毛曽呂(もそろもそろ)に国来(くにこ)国来と引き来縫える国ば支豆支(杵築)の御崎なり・・」とある。
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市杵嶋比売命(いちきしまひめのみこと)
宗像三神(むなかたさんじん)の一神。特に美人で弁財天と同一視される。
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一年神主(いちねんかんぬし)
当屋、宮座ともいう。神社の氏子の中から適任者が選ばれ、一年間神事に奉仕する人をいう。近畿地方の小さな神社に多い。
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一宮(いちのみや)
平安時代から中世にかけての社格の一つ。
一国に原則として一宮と称する社が一社あり、その国内で最も重要視されたがその起源は不明である。国司が着任の際主要な神社を選んで巡拝する時の、第一に拝する社であったとする説が有力である。
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厳島信仰(いつくしましんこう)
国家鎮護・海上安全・交通安全・商売繁昌の神。祭神は宗像三神、即ち奥津島比売命・市杵嶋比売命・多岐津比売命である。
広島県の宮島の厳島神社は推古天皇元年(593年)創建という。平安朝末期に平清盛が霊夢により社殿を造営、平氏一門の尊崇をうけた。
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稲荷信仰(いなりしんこう)
稲荷神社の祭神は倉稲魂神(うがのみたまのかみ、宇迦御魂神とも書く)で宇迦は食の意味で、一切の食糧を司どる神で、特に稲の成育を守る神である。そこで昔は稲の神・食糧の神として尊崇されたが、中世には衣食住の神・繁昌の神と仰がれ、都市にも普及して各地に稲荷の神が杷られた。
江戸時代に最も盛んとなり、武家の家敷に小祠をつくり勧請し、後には一般の人々も競って勧請した。 現在全国で三万余社あり、個人の邸内社を加えると大きな数字となろう。

※ 稲荷と狐
宇迦之御魂神の別名を御饌津神(みけつかみ)というので、ケツネ(キツネの古語)
の文字の狐をつかい三狐神と書いたことに始まる。

※ 日本五大稲荷
京都府、伏見稲荷大社
佐賀県、祐徳稲荷神社
茨城県、笠間稲荷
島根県、太鼓谷稲成神社
宮城県、竹駒稲荷神社

※寺院の稲荷
寺院では荼枳尼天(だきにてん)をまつる。

※江戸時代の隆盛
江戸持代に、紀州藩の小役人から幕府の老中までになった田沼意次は、稲荷を邸内に祀って大出世をしたということから、信仰が高まったという。
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伊褒理(いぼり)
雲や霧がもやもやと重なり合っているさま。
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忌詞(いみことば)
忌みはばかつて使わないことば、又はこれに代用して用いることばをいう。
斎宮などに忌詞七言というのがあり、寺を瓦葺(かわらぶき)、僧を髪長(かみなが)、
尼を女髪長、仏を中子(なかご)、お経を染紙(そめがみ)、塔を阿良岐(あらぎ)といった。
一般の人々の日常生活でも、塩を「なみのはな」、蛇を「長虫」というのも一種の忌詞である。
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斎竹(いみだけ)
忌竹とも書く。清浄の場所を示すために、葉付の青竹を左右又は四方に立てて、これに注連縄を張り紙垂をつける。此の竹を斎竹という。ちなみに注連縄は東北隅より東南、西南、西北、東北と時計回りにつけるのが慣わしである。
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斎火(いみび)
忌火とも書く。清浄を保ってつくりだされた火をいう。伊勢の神宮では、忌火屋殿で鑽火(きりび)の斎火をつくり神饌を調理する。
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磐座(いわくら)
古代、神の降臨を仰ぎ祭を行うため石で築いた神聖な場所をいう。また特異な自然石を指して磐座とする場合もある。
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磐境(いわさか)
磐座に同じ。
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