【難波丸】 (延享四年(1747年)刊行)

 北野天神 天満太融寺の辺に有 京師北野に模すると 祭神同前 此御神は。京師北野の聖廟より。四十四年後の造営となり。むかし菅丞相宰府へ。左遷の御時。此所に御一宿ありて。詠しさせ給う。御歌とて。

 世につれて難波入江もにごる也。
  道あきらけき寺ぞ戀しき。(中略)

また太融寺の境内に。梅塚とて有り。此寺は。嵯峨天皇弘仁年中の御勅願寺。弘法大師開眼供養の道場なり。されば右の御歌に。道明らけき寺とは。河州道明寺の事なり。昔此寺に。菅相丞の御伯母御前。覚寿と申しおはしましける。菅臣さすらへの時。御暇乞に立よらせ給ひしに。暁の鶏かしましくや思しけん。

 啼くばこそ別れをいそげ鳥の音の
  聞へぬ里の暁もがな

これより後。里には鶏をかはずと申し伝ふる。菅臣伯母御前の許を。別れ給ひて此難波の。やどりに泊り給ひて。伯母御のもとを。恋しく思し出てよませけるにや。いづれも浅からぬ因縁有がたき御ためしなり。

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