【現行特殊慣行神事】(昭和九年(1934)
             大阪府学務部 刊行


 渡 御 式(7月15日)

1、起源及沿革

 この神事の起源は明らかではないが古くより行われていたには違いない。古文書によると、元文6年酉2月当村宮座一同及庄屋の連署した神輿庫改造の御願書案文中に「北野村氏神天神有来り候御輿云々」と有るを見ても既にこの時代以前より行われていたに違いない。
なお現在伝来の扇垂木造神輿は製作は詳ではないが、この時代に有ったものかとも思われる。
 この神事は古くは7月15日に行われていたが、中古より8月15日に改められた。この日は盂蘭盆会当日で仏家では精進すべき日であるが為、すべての魚屋が業を休んでいた。所が魚買求めに困った人々幸に氏神祭で門前通りに魚市が出て、近郷近在から参詣方々魚買求めに群をなし大に賑わった。これが笑劇にまで仕組まれたと古老の話にも残っている。
 御旅所は明治4年迄は当宮の南半町梅塚へ渡御あったが、同5年に敷地の寄進があって御旅所を才田の地(現在の西梅ヶ枝町の西部)へ移し、後数年にして現在の茶屋町の地に移されたのである。
 梅塚は『浪速の梅』に「常安寺内に年ふりし古木の紅梅あり、梅塚という、北の天満宮の御神木なり」云々といい、 『大阪府全志』に「梅樹のみ老幹槎○(木へんに牙)としし残り淡紅にして異香を放ち、道眞の愛翫せしもの即ちこの古梅なりと伝えしが、十年以前民有地となりて梅も姿を没し、社は西梅ヶ枝町の綱敷天神社御旅所に移り更に茶屋町の旅所に移され、址は人家建設の巷となる」といい 『摂津名所図会』には菅公の御愛樹といい縁起書には「一樹の梅色ことに今を盛りと咲きしに御心をうつされ云々、此梅のもとにしばらく船の綱を解きたくりて其上に御座をかまえ奉る。夫れより此所を代々に伝えて梅塚という」等の故事をしのびて此所に渡御あるのである。なお近来迄この梅の若枝を切り取り渡御通路の清めの具としたのである。

2、神事執行の模様

 渡御式を執行する前に付随した式事として左の如く行われる。
 
 イ、役太鼓習礼
    10日前より境内適当の場所で夜分
    打合せ習礼を行う。
    14日打子盛装して夜分宮入と称して、
    表門より入り神前にて祝打を行う。
 ロ、神輿洗神事
 ハ、清祓行事
    以上2式は14日早朝に行われる。
    天明2年御宮勘定帳に7月御祓とある
    これである。

  御使の事
15日神輿発輦までに、古くは御旅所より七度半の御使の作法があって、宮座の者の内より行う事になっていた。今はこの事はないが御旅所より神馬に御旅所の有志が付き沿うて、御迎えとして参上するのである。

 ニ、道筋は大略氏子地内を東より南へ
    北へ西へ廻るので其の町名を記すと
    (発輦)神山町、堂山町、野崎町、
    太融寺町、木幡町筋、西梅ヶ枝町、
    西寺町、兎我野町、高垣町、角田町、
    小深町、牛丸町、芝田町、
    茶屋町(御旅所)、鶴野町、角田町、
    堂山町、万歳町、神山町(還御)

  祭典の模様
15日午前10時に例祭の大祭祭典があって後、正午の刻に渡御発輦の祭典が大祭の例に準じて行われる。午後1時に役太鼓より順次左の列次により御発輦があって、午後7時御旅所に御着輦祭典を奉仕し、同8時御発輦の祭典があり、午後10時本宮へ還御大祭祭典に準じて祭典が行われ、渡御式が終了するのである。

 列次第 
役太鼓、猿田彦、真榊、稚児、飾獅子、
舞獅子、神馬、神饌唐櫃、幣帛唐櫃、
巫女、剣鉾、梅若枝、伶人、錦蓋、盾、
鉾、弓、鳳輦、社司、御綱(網?)代車、
祭員、船神輿、祭員、小太鼓、小神輿、
御神輿、御神輿、祭員。


 御 弓 神 事(2月20日)

1、起源及沿革

 起源は不詳であるが、当社所蔵の元文4年宮座作法規矩に「正月廿日御弓」とあるのがこの御弓神事である。当時の祭事の模様等委しい事は詳かではない。

2、神事執行の模様

 一、御弓と御矢
 一、御盾
 一、御鉾

  以上の神器が現今では必要である。祭典の次第は中祭に準じて行われるので祝詞奏上が終わると、後取2員立ちて御弓と御矢とを各自棒持して、社司に之れを伝え社司之れを神司に飾る。次に他の後取2員立ちて御鉾及御盾を各自棒持して社司に伝う。社司之を神前に飾る。終って祇候座に着く。以前はこの祭典の終了後、境内に設備したる弓場にて競技が行われたが現今は行われていない。


 秋 大 祭(菊花祭とも称す) (10月24日)

1、起源及沿革

 古代は9月24日に行われていたが現在は10月24日に行われている。起源はあきらかではないが当社所蔵の宮座作法規矩板に

  宮座作法規矩
 一、恒例ノ神事怠慢有間舗事
 一、正月廿日御弓、九月廿四日当有来ル
    供物怠ル間舗事
 一、(此間3ヶ条省略)
   元文四年未二月廿五日 

 右之趣古来から宮座作法たりといえども年月遠く罷成候得ば万一取違も可有之?今又新に御神前之作法板に顕然と明なる者也とあるのを見れば、元文4年以前遠くより行われていたのは確かである。爾来中絶することなく今日に及び、厳然として重大な祭典の一として年中行事に記されている。

2、神事執行の模様

 この神事に必要な大御饌は朱塗の大三方(ニ尺角)に次の如く調理した6品をト土器に盛り、御箸を附し各2台を供するのである。
なおこの祭を菊花祭と称するのは、神饌輪餅を盛りたる三方2台に白菊花1輪(葉2付)づつを挟み供するが為である。
近来は氏子より鉢植の菊の花を大前に供するようになって来て盛大に行われている。
 祭典は大祭祭典に準じて之を行うのであるが、少し異なった点もあるので大略を左に記してみる。
 
  1、斎主御扉を開く 和琴を弾ず
 次 斎主祝詞を奏上す
 次 斎主大御饌を供す 奏楽
 次 斎主神酒三献を献供す。一献終る毎に
    総員自座にて拝礼を行う。この間、
    奏楽神楽舞有り
 次 斎主玉串を奉奠し拝礼す
 次 氏子総代以下参列員代表玉串を
    奉奠し拝礼す
 次 陪膳以下大御饌並に神饌を撤する。
 次 斎主御扉を閉つ 和琴を弾ず
 次 各員退出   以上


 特殊の神饌

当神社に次の様に特殊の神供がある。
(1) 歳旦祭
イ、餅は輪餅一重の上に黒昆布1枚、串柿1串、橙1個(1葉付)を重ねたるものを2台供する。

ロ、輪餅曲物丸形の輪型に餅を入れ、上下を板にて挟み其の形を作り一重とするもので、例祭と秋の祭とこの三祭に用いることになっている。

(2) 例祭
 餅は輪餅の他に枯団子を供する。
枯団子は享保14年の縁起書には「ゆりわと申す器に団子を盛りてもてなし奉りしかば甚御賞美なされしとなり。」
 其例によって今に神事祭礼の時、ゆりわにだんごを盛りて神供とし奉る也」とあるもので、
 団子は立体三角形の各面を指にて凹ました形で、ゆりわと称する曲物の器に盛りて供する。

(3) 秋の祭
 餅は輪もちを供す
 酒は醴酒を供す
 別に大御饌二台を供する

(4) 御火たき神事
 餅はしとぎ餅を供する




本文は、昭和9年、大阪府学務部より刊行された「郷社現行特殊慣行神事」に収録されたものである。再録にあたり現代仮名づかい、当用漢字に改めた。

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