【蘆分船】  (延宝三年(1675年)刊行)


 此御神ハ、京北野の聖廟より四十年余後の造営と也。むかし此所に。一夜に。七本の松生出たり稀代の事なればとて。則太融寺の僧奏聞をとげ。寛正四年の。綸旨等ありと也。
又ある説に太融寺太融寺の境内に梅塚というあり。むかし菅丞相宰府へ。左遷の御時。此所に御一宿ありて。詠しさせ給ふ。御歌とて。さる人のかたり侍りつるは
  世につれて難波入江もにこる也
   道あきらけき寺ぞ戀しき
かかるゆえあるによりて。此所に。天神を。勧請し王城の北野を。うつし其名とせるとも。いへりたづぬべし。

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